雨の記憶
原典: SHUFFLE!(制作:Navel)
お題: 生け花、奥多摩、ニジマス
書人: 小城孝市
初夏の日も眩しい7月上旬。梅雨明け宣言もされて、まだ間もない。
これは、そんな休日の一時の話である。
「稟くん、稟くん。そろそろ着きますよ」
「ん、そうか。ありがとう、楓。んん〜」
一言楓に礼を言ってから稟は伸びをする。
「あ〜、もう惜しいな。せっかくのかわいい寝顔だったのに、残念」
亜沙は覗き込んでいた顔を少し離して、唇に指を当ててそう呟くように言う。
「……ハ、ハハハ。そ、それはどうも」
『奥多摩〜。奥多摩〜。次は終点、奥多摩です。お荷物のお忘れ物無いよう、お気を付けください』
車掌のアナウンスの後にしばらくして、
ガタンッ! キキィィ!
音を立てて電車が緩やかに駅に停車する。
「着いたな」
そこで稟はもう一度大きく伸びをする。
電車から降り景色を見ると、辺りには緑が生い茂っていた。
駅から出ているバスに乗り揺られること10分ほどで、稟達は目的地に到着する。
「さてと、行くか」
「いやー、絶好の行楽日和だね♪」
「樹、お前を呼んだ覚えはないのだが?」
ここは奥多摩のキャンプ場。
稟達は休日を利用して皆で遊びに来ていたところである。
「何を言う、稟。美少女あるところにオレ様ありだよ。その点ここには美少女がいるからね」
樹は堂々と胸を張って言う。
「お、あそこにも美少女発見! そこの彼女〜。俺の心の中に貴方という生け花を飾らせてもらえないか〜い?」
そう言うと樹は、その女性の方へと駆けていってしまった。
「……行くか」
「は、はい……」
バス停の直ぐそばにある階段を下ると、川原が見えてきた。
「わぁ、綺麗です」
太陽の光を反射して、川面がキラキラと輝いている。
「シアちゃん達も来れたら良かったのに」
「まぁ、神界魔界それぞれで行事があるんだから仕様がないよ」
「ま、シア達はまた今度来るときにでも誘えばいいさ」
「……稟、あれ」
「ん、あれか? あれはニジマスだな。ここへ釣りに来る客のために放流されているんだ」
「ふーん」
「稟ちゃ〜ん。釣竿借りてきたよ〜」
稟が声のした方を振り向くと、いつの間に行って来たのやら、亜沙が人数分の竿を持って駆けてくるところだった。
「あ、ありがとうございます、亜沙先輩」
「ふっふ〜ん。これからがわたしの腕の見せ所ね」
「麻弓、お前釣りやったことあるのか?」
「まっかせなさい。人を釣ることに関しては自信があるのです。魚ごとき人を釣るのに比べたら楽勝なのです」
「麻弓ちゃん……それは違う気が……」
――1時間後――
「そろそろ休憩するか?」
「(フルフル)私はもう少しやってる」
「何で? 何で私だけ一匹も釣れないのよ〜!」
その台詞の通り、麻弓だけは何故か一匹も釣れていない。
「そんなの決まっているじゃないか。魚もどうせ釣られるなら、麻弓みたいなツルペタよりも、ちゃんと胸のある美少女に釣られる方が良いに決まってるからさ」
「何ですって〜!」
樹が麻弓に縛られ、しばかれているのを横目に稟はテントへやってくる。
「ちょっと疲れたな」
「あ、じゃあ稟ちゃん達は休んでていいよ。ここからはボクの出番だから」
「そうですか。では、お言葉に甘えさせてもらいます」
そこへ楓が飲み物を持って近づいてきた。
「お疲れ様です」
「お、ありがとう、楓。亜沙先輩の方は良いのか?」
「はい。あちらはもう二人いても特にすることもなかったので」
そして、稟の横に腰を下ろし、少しもじもじとした感じで口を開いた。
「そ、それで、あの、稟くん。さっき他のお客さんが話しているのを聞いたんですけど、あの道をちょっと行った先に、景色がきれいな丘があるそうなんです。もし、よかったら見に行きませんか?」
稟は少し考える素振りを見せたが、もともと特にすることもないので直ぐに返事をする。
「ん、そうだな。行くか。みん――」
「あ、ま、待ってください」
稟が他の皆にも声を掛けようとしたところ、それを楓に呼び止められた。
「え、ど、どうした、楓?」
いきなりの事だったので、稟が少し驚いて振り返ると、楓は何かを決心したかのような表情で稟を見つめ返してきた。
「あ、あの二人で見に行きませんか? あ、でも、稟くんがよければですけど」
一度樹たちの方を見てみたが、まだ折檻の途中のようだった。プリムラはプリムラで釣りに夢中になっていて、こちらのことを気にしている様子はない。
稟はその様子に苦笑しながらも、逆に余計な詮索もされなくて都合が良いと思い、そのまま楓と二人だけで行くことにした。
山道を登り始め直ぐの事。
「うわっ、雨か!?」
稟が上を見上げると、いつの間にか空には入道雲が広がっていた。
ぽつっ、ぽつっ。
ぽつぽつっ。ぽつぽつぽつっ。
「くそっ、降ってきたか。早く雨宿りできる場所を探さないと」
「稟くん、あそこ!」
楓が指差した方向には、ちょうど岩の窪みがあり雨をしのげそうな形になっていた。
「でかした、楓。あそこでいったん雨宿りだ」
「は、はい」
二人が窪みに入ると同時くらいか、雨は強くなりだした。
「危なかったなぁ」
「すいません。私が誘わなければこんな事には……」
「気にするなって。どうせあっちにいても雨に降られてたんだから」
「くしゅんっ!」
楓の口から可愛いくしゃみが一つこぼれ出た。ずぶ濡れというわけではないが、多少雨にあたっているうえ、雨による気温の低下も相まって、体が思った以上に冷えてしまったのだろう。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「いえ、大丈夫です。心配しないで下さい」
「でも……」
「ほ、本当に大丈夫です。た、ただ、雨を見てちょっと昔の事を思い出してしまっただけです」
「昔のこと?」
「はい。稟くんを、自分の勝手な思い込みで怨んでいた時のことをです。本当は自分が悪かったのに……。雨の日はそんな悪い思い出しかありませんから、つい……」
「…………」
2人の間に少しの静寂が訪れる。
稟は暗い雰囲気を振り払うかのように口を開いた。
「そんなことないだろ。例えば、えーと、オレは雨の日はプリムラに出会ったわけだし」
「リムちゃんに……」
「それに、シアも雨は好きだって。まぁ、雨が好きってのは、ちょっと変わってるけどな」
「ふふ、そうですね。何だか稟くんにそう言って貰えると、私も雨の日が嫌いじゃなくなりそうです」
どちらからともなく笑い声が漏れた。
先程の暗い雰囲気はいつの間にか無くなっていた。
「ん?」
ふと、稟が外を見ると、日の光が差し込んできていた。
どれくらいの時間が経っていたのだろうか。もしかしたら話し込んでいて、思ったよりも短い時間だったのかもしれない。
「お、晴れたみたいだぞ。行くか?」
「はい」
稟達が目的地に着くと、雨上がりの空に虹が架かっていた。
「きれいな虹です」
「それに景色もな。やっぱり来てよかっただろ?」
「はい」
「楓」
「え、何ですか稟くん?」
稟は喉まで出掛った言葉を飲み込んだ。
「いや、何でもない。プリムラも心配しているかもしれないし、そろそろ戻るか」
「あ、はい。そうですね」
「……稟、楓。帰ってきた」
「二人ともおっそ〜い!」
「稟、探したよ。まったく楓ちゃんと二人で何処へ行ってたんだよ」
稟たちが戻ると亜沙とプリムラ、それに麻弓と樹がニヤニヤしながら待っていた。
「ん〜、何か怪し〜」
そこで楓は四人の視線の先を追い、そして慌てて先ほどまで繋いでいた手を離す。
「な、何もないですよ、麻弓ちゃん、リムちゃん」
そう言って恥ずかしがる楓の顔からは、先ほどの曇りは消えていた。
いや、まだ完全には消えていないのかもしれないが、稟にはもう大丈夫だと言える気がした。
晴れ上がった空を見て、稟はふと思う。
どんなに空が曇っていても、時が経てばきっといつかは晴れるんだと。
「稟、どうかしたの?」
「ん、ちょっと考え事をな。おい、樹も麻弓も遊んでないで、行くぞ! 早くしないとせっかく釣った魚を食べる時間が無くなっちまう」
そんなことを考えた照れ隠しと、樹達の追求から逃れる意味も込めて稟は駆け出した。
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